人生の目的、何とも壮大なタイトルだ。本書から垣間見るに筆者が人生の目的を思い起こそうとした理由は、自殺数の増加である。筆者は、不況が自殺数の増加の直接的要因ではないと推測する。では何なのか。筆者は直接述べてはいないが、それが「人生の目的」を改めて考える機会となった。補足だがフランスの社会学者デュルケムも経済的要因が自殺の主要因とは捉えていない。彼の自殺論についても機会があれば書いてみたいと思う。 さて、筆者は人生に目的は無いと述べる。五木の何十年かに及び考察の末だと言う。人生に決められた目的は無いという意味である。筆者は言う: 「人生に万人共通の目的などというものはない。あらかじめ決められている法律のような人生の目的というものを、私は想像することができない…すべての人間に上から押し付けられるような、一定の目的などない」 と。 趣味、人種・民族、宗教、国籍、性的志向等異なる人間がこれだけいるのであれば、万人共通の目的を見つけることは至難の業であろう。一方、多くの人はではどうすれば良いのかと考えるであろう。 また、戦前に生まれた五木は子供の頃、人生の目的を改めて考える必要は殆ど無かったと述べている。私にはその理屈は分かるが実感は出来ない。その点で、五木の辿り着いた結論を本当の意味で理解出来るのは無理なのかもしれないと考える。 また、筆者は自己啓発が好きな人が眼を剥く様な発言をしている。人間には無限の可能性がある、ということはどこか嘘があると思うと。ただ、ある程度の人生経験を積むとそういう結論に辿り着くのではないか。それをどの様に取るかが、人生の要諦かなと私は思う。 五木は述べる: 「事故の運命と宿命を受け入れた上で…それからどうするのか。答えは一つしかない。…<生きる>ことである…なんとか生きる。生き続ける。自分で命を投げだして、枯れたりせずに生きる。みっともなくても生きる。苦しくとも生きる。」 私の好きな文章だ。いや、好きというのは正しくないのかもしれない。ただ、他の記事で述べようと思うが私の心の琴線を震わせる文章だ。みっともない、惨めだと思う期間を生き抜いてきた経験が私にもある。 上記の他に本書では、肉親とのこと、お金のこと、信仰のことやNHKラジオ深夜便のトークエッセイも掲載されている。トークエッセイでは筆者が学生時代について語る面もあり、私には筆者と教授との触れ合い、質屋における苦い経験やアルバイト先のカツ丼が特に印象に残った。 私にとって色々と考えさせる本だ。若い人に特にお薦めしたい一冊である。