今日は水泳に加え空手の稽古があるため、4キロのみ走ることとした。
ジョギングペースでキロ4分半で行けるかなと思ってたら、トラックと道路の感覚が全然違うことに気付き、今の段階では無理だと思った。
5分ちょっとを目途に4キロ。大体フラットペース。
レースまで後一ヶ月弱かぁ。距離踏むと同時に、負荷を上げなければならないけど怪我が少し心配。回復を再優先しないと。
筆者は糸東流空手道第二代宗家。 本書を通じ、空手の成り立ちその効能や歴史(柔道や剣道とは異なる歴史)及び哲学的背景を紹介し、題名通り武道空手へと招待している。筆者は武道空手という言葉を使い、所謂競技空手との違いを説明する。 私はずっと武道空手の枠組みで稽古を続けているので競技に出場した経験がない。よって筆者のいう真の修行者の姿(他人に勝つ、他人より上手くなるのではなく、昨日より今日より上手になり一生一日仕上げていく)という同意し、また、私自身そうでありたいと思う。 また、筆者の現代の空手道に対する懸念は私も含め空手に関わる人間が考える必要のある事柄ではないかと思わされた。例えば、海外では武道と競技空手の間に明確な一線がある一方、日本では必ずしもそうとは言えなく、結果、浅薄で誤った武道館を持っているという懸念。また、少なくとも伝統糸東流に関しては日本に十分な数の指導者がいないという懸念である。筆者は将来的に外国から伝統空手の指導者を招聘しなくてはならないという可能性についても触れている。 筆者は、空手のスポーツ化については否定はしていない。空手がオリンピックの正式種目になると信じている筆者としては、スポーツ化自体を否定することは出来ないであろう。むしろ競技の主張と武道の主張は折り合うことはないため、競技用の形を新たに作るなど武道と競技空手の更なる差別かを推進している様に感じる。その上で、競技空手を引退した人たちの受け皿として武道空手の重要性を強調している。その点に筆者の空手への愛情と懸念が感じられる。 本書では武道における無拍子と外国のリズムについての考えを紹介し、空手が無拍子であることを紹介している。更に天地と一体となる力を得る方法等、西洋的合理主義では説明し難い点についても僅かならが触れている。これらの概念はある程度の経験を積まないと実感出来ない難しい点だと感じる。少しずつ学んでいける技術とは異なると思うからだ。他方、これらについてを頭に入れて置くだけでも稽古への取り組み方が変わってくるのではないか。 空手愛好家のみならず武道に興味のある全ての人々に読んで欲しいと思う一冊である。
前の記事と同じくNumberから。
三浦隆司、ラスベガスで壮絶に散る。“第2のパッキャオ”へ向け、評価は不変。
これには同意出来ないかな。そんな事はないと思うけど。商品価値が上がったというのなら今回の試合からして分からないことはないけど、評価は多少なりとも下がったと思う。
三浦選手が全く無名であれば、ダウンを奪っての善戦という評価かもしれないが、仮にもスーパーフェザー級でWBC四度防衛、加えて帝拳という事を考えればそんなことは無い。
多少不利だったとはいえ、無敗のメキシコ人挑戦者相手にオッズが微差だったことを考えればそれなりに期待されていた筈。
帝拳ジムと本田会長の影響力に鑑みれば再戦の可能性は高いだろう。今回の評価はその時のオッズに反映されるだろうがおそらくその差は広がる筈。
商品価値及び人気とボクサーとしての実力の評価は別物ですよ。再戦して王座奪還して欲しいという気持ちはあるし、その可能性は低くはないと思う。でもそれと今回の試合後の評価は別。