有森裕子:やめたくなったら、こう考える②

やめたくなったら、こう考える (PHP新書)/PHP研究所

前回に引き続き有森裕子選手の本の感想。

今回は本書において有森選手が語る変えないことの重要性について。

何かにおいて時代が変っても新しい方法が誕生しても、その分野においてやらなければならないこと及び持たなければならない感覚の存在、つまり根本についてだ。大事な根本の理由を理解出来ない間は成功に繋がらないということである。

他方、根本さえしっかりしていれば、思い悩んだ時にもそこに立ち戻りやり直すことが出来るので根本が重要だというのが著者の言わんとするところだと思う。有森選手は自身には根本備わっているため、何かあったら戻るものを持っていると断言する。その自信故に何かを途中で投げ出すことが無かったのだろう。

私の場合、これまでの経験で幾つかの分野で根本をしっかりさせることが出来たと感じているため、有森選手の言わんとすることが理解出来ると思う。

例えば文章を書くことである。博士論文を含めた論文やレポートを中心に書くことに長年従事してきたため、専門分野でなくても書くことを特に苦痛に感じない。学術論文は英語で書いてきたので日本語の語彙に不安はあるものの、テーマを渡されれば質はともかく何かしら書くことが出来る様になった。

それは説明しにくいことであるが、考えを纏めそれを相手に伝える方法論が備わっているからだと思う。それが書くことに関して私の根本となっており、知識が乏しい分野においてもそこに立ち戻れば何かしら書くべきと考えることが頭に浮かび上がっている。

また、空手においても同様だ。少なくとも空手においては稽古を積むということは単に筋力等の身体能力の向上を超えた経験が必要となってくる。例えば初心者の内に学ぶ猫足立ちが初めて出来たと言われた時、両足に感じた感覚は今まで感じたことのないものであった。それはすなわち今までそういう姿勢をしたことが無く、言葉で説明出来ない状況であったということだ。

そういった経験を少しずつ積んで自分の体でどういう動作が今の段階で出来るのかをある程度理解出来る様になった。そのため、新しい動作を学ぶ際、例えその場で出来なくてもどの様にすれば良いか、学べるかの道筋をある程度であるが想像することが可能となった。それはその段階で出来ないと理解することも含めてである。

その確認の方法は例えば単純に腕や足を少しずつ上げるだけの場合もあれば、形を通じて体の感覚を精査しながらということもある。この辺は身体的な実体験を共有出来ない場合は説明が難しいが。

著者はまた、ルーティンを保つこと、すなわち何かを変えないということに対して否定的な印象が強まっている中で著者は変えないことの利点について語る。ルーティンを保つことは縁起担ぎではなく勝つための戦略であり、体調維持及び結果が伴うという明確な根拠があれば、同じことに取り組み続けるべきであると。

この点は非常に重要だと思う。ルーティンを守ることで結果が出るのであれば、それは確かに縁起担ぎではないのでしっかりと区別をする必要があるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です