有森裕子:やめたくなったら、こう考える①

やめたくなったら、こう考える (PHP新書)/PHP研究所


著者はオリンピックで二度メダルを獲得したマラソン選手。スポーツ及び武道に日々携わる身としては色々考えさせられることの多かった一冊。 数回に分けて感想を述べたい。

 マラソン選手としては誰もが一流と考えるであろう同選手だが好きで走っていたわけではないと断言する。誤解を生みやすい言い方であるが、要は好き嫌いが走ること(を続けること)の判断材料であったことはないということだ。

有森選手にとって好き嫌いはマラソンに限らず物事を続けることや辞めることの理由にはならない。また、生きていくことを大前提にするなら、その仕事が“好きか嫌いか”ではなく、“食べていけるかどうか”が全てだと語る。

彼女は究めていない物事に関して好き嫌いの判断は出来ないと述べると共に、形が見えていない状態のものに対して好き嫌いを簡単に判断することが本当に可能かと問う。やりはじめたことをやり終えて、しっかりした形が見えてもなお疑問を感じたときにはじめて「嫌だからやめる」が理由になるのだと著者は強調する。

聴く人にとっては非常に心苦しい意見ではないかと思う。走る事を仕事とし、また、その仕事を非常に長い間続けていた有森選手だからこそ、その発言に説得力がある。何かを投げ出すことが難しくない現在、私も含め一体どれだけの人が有森選手の言う「形が見える」状況まで物事を続けているのかと思った。

また、有森選手は近年の日本における子供達に順位をつけない傾向(特に客観的に見てはっきりついているはずの順位を公表しない流れについて)に警鐘を鳴らし、明確になるはずのものすら順位をつけなくなると、自分には何が出来るか分からないどころか、何が好きかも分からない様なあやふやな人間を作ることになるのではと問う。

確かに現在の考え方は子供が自分で考える機会を減らしている気はする。また、大人になってから競争なんて幾らでもあるのに、子供の時にそういう事を覚えさせないで良いのかなとは思う。失敗を含めて試行錯誤の機会を子供から取り上げてしまうのは絶対に子供のためにならないのではないか。

 最後に有森選手の練習に関する考えが非常に参考になった。

「今日は良かった」と(自分の感覚のみで)と終われる範囲の練習で満足せず、気持ちよくない練習、死ぬかと思うほどの練習、あれこれ考えずにガムシャラにやる練習、それが大事になる。

気持ち良いレベルの練習・稽古は確かに甘いと思う。私が未だに水泳でコーチを付ける理由のひとつがそこである。キツイと思うレベルのメニューをどんどん出してくるから。スポーツ・武道で向上しようとするのであれば、今出来ることと自分が思っている以上のことをしなければ不可能ではないか。

今後書こうと思う有森選手のルーティンへの考え方等を見ても、彼女は非常に色々なことを考えているなと感じた。だからこそマラソンという過酷な世界で一流と言って過言ではないレベルまで上り詰めたのだろうし、努力家であることは勿論のこと、私の考える天才の定義にピッタリ当てはまる方だと感じた。

 それらについては次回以降書きたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です