カテゴリー別アーカイブ: 書評

たかのてるこ:ダライ・ラマに恋して

ダライ・ラマに恋して (幻冬舎文庫)/幻冬舎

私が著者のことを知ったのは今年に入ってからだ。たまむすびというラジオ番組に出演して日本の聖地について語っていた。やたら明るい人だなぁというのが印象だった。彼女が紹介する数か所の聖地はとても魅力的で訪問したいと思った一方、彼女自身に興味を持ちその著作を読んでみようと思った。

実は有名人と知ったのはその後。私がテレビをほとんど見ないのも彼女のことを知らなかった一因だろう。

本書は私が読んだたかのてるこの最初の一冊。
先日紹介した村上春樹のウィスキーに関する本同様、彼女の旅にも明確な目的があった。ダライ・ラマに会いたいという目的が。その目的が達成出来るかの見込みの無いまま、たかのてるこは旅に出た。
村上春樹と同様、たかのてるこにも旅の明確な目的がある。一方、この本は村上のものとは全く種類の違う本だと感じた。村上春樹の本からはスコットランドとアイルランド及びそれらの地のウィスキーの魅力が滲み出ているのだが、たかのてるこの本書からは感じられるのは著者自身の魅力だ。たかのに文章力が無いとか著者に魅力を伝える意思が無いわけではないだろう。ただ、彼女の個性があまりにも強く、本書で紹介される人々が幾ら興味深くとも私の関心はどうしてもたかのてるこの一挙手一投足に向かってしまった。
そういう意味ではたかのてるこは旅行記を書くのは適していないのかもしれない。悪い意味ではないけれど。本書はとても良く書かれていると思うし、何より素晴らしい読後感を与えてくれた。
さて内容について少し。ここでは本書で触れられている仏教やチベット問題についてはあえて触れない。色々な媒体で何度も語られていることであり、また、私の仏教に関する知識はかなり限られているので。

先述した通り、この本で私が如実に感じたのはたかのてるこという人物の人柄である。彼女はテレビ番組の制作に関わっていたため、一般人よりダライ・ラマに会える可能性はあったと思われるがそれでも会えるという保証がどこにもないまま、ラダックやダラムサラに旅立つというのは彼女の積極性及び行動力あってのものだろう。そしてたかのは実際にダライ・ラマに謁見している。

本書では多くの現代人が信じることの難しいことが多々語られている。例えば、シャーマンや輪廻転生について。前世を覚えている少女やダライ・ラマの存在自体がその最たる例であろう。

私はそういうものを比較的信じる方だと思う。言い方を変えれば目に見えないものを信じることにそこまでの抵抗が無い。それは幾つかの国の先住民と暮らした経験、また、武道や断食を通して目に見えるもの以外の存在を感じることが何度もあったから。特に断食が進んで精神が研ぎ澄まされる時、空手の形を演じる時に現代科学では証明されにくい現象を経験したことが何度かある。いつか話そうと思うが、昔の人々はそういうものを感じる能力を秘めていたのではないかなと思うことがある。記紀を始めとした文献や能とか日本の伝統芸能の存在に鑑みてもそうではないかなと感じる。浅学なのでこの考えを上手く肯定する手段を私は持っていないが。

さて、本書では著者が出会った人々が仏教的視点から様々なアドバイスというか意見を述べている。私が特に関心を持ったのは

・この世に永久に変わらないものはない。ということを本当に理解する。

・執着しないことは相手に無関心になることではない。

である。

最初のものは私も含め多くの人々が理解しているつもりでそうではないことではないだろうか。

二つ目は一見矛盾してそうだがそうではないのであろう。ただ、私は未熟なためか、この言葉の本質をまだ理解出来ない。今後、理解出来る時が訪れるのか不安にもなる。

ただ、執着心について親や愛する者を失う時の例(両親の死が怖いのではなく、そこから生じる自分が不安定になることへの恐れ)には色々考えさせられた。

ただ楽しいだけではなく、上記の例も含め本書からは学ぶことが多々あった。一方、先述した通り、魅力的な人々が沢山登場するにも拘わらず、私が一番興味を惹かれたのは著者自身であった。旅はその時々の自分を映す鏡であると著者は言う。だからこそ本書は彼女の魅力を反映しているのであろう。

最後にこの本、写真を見るだけでもその価値はあると思う。皆、素敵な笑顔だ。眼が輝いている。繰り返すが本書は素晴らしい読後感を与えてくれた。久し振りにこんな気持ちになった。是非お勧めしたい一冊である。

司馬遼太郎:二十一世紀に生きる君たちへ

十六の話 (中公文庫)/中央公論社

十六の話より。

もともとは1989年の小学6年生用の国語の教科書に掲載されたもの。私より一学年上の児童に向けられたものなのだろう。そのため、初めて読んでから今まで何度も読み返している。

短い作品だ。文庫本で僅か9ページ。だがその短い文章の中で司馬遼太郎の人柄がここまで垣間見える作品も珍しいのではないか。彼の優しさ、歴史への愛情がこの作品から溢れ出る様である。

冒頭、司馬は歴史が好きだと述べる。それも自分の親を愛するようにと。彼にとって歴史とはかつて存在した何億という人生が詰め込まれている大きな世界である。

その大きな世界を司馬はその数多くの著作を通して旅してきた。司馬の洞察力、情熱、想像力等があってのことだろうが、著者自身がそこにいたのではないかと読者に(少なくとも私に)思わせる程、彼の作品の描写は素晴らしいと思う。彼の作品の多くが創作であることを考慮してもだ。有名どころでは坂本龍馬や河井継之助等、また、カンドウ神父、フランシスコ・ザビエル、イグナチオ・デ・ロヨラ等「街道をゆく」で取り上げられる人物もまるで司馬が実際に交流したのではないかと思われる程仔細に描写されている。

それら歴史上の人物が司馬を励ましたり慰めてくれるため、彼は二千年以上の時を生きている様なものだと思っていると述べる。それは楽しいことだとも述べている。

その通りだと思う。今、私はそのことを本当に羨ましいと思う。しかし、司馬は言う。私達にあって、彼にないものが彼に寂しさを感じさせると。

未来、具体的には1989年の時点で司馬が思い描いていたであろう未来、二十一世紀である。司馬は自身に二十一世紀の予測等とても出来ないという。

他方、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことを述べることが出来ると言う。自然によっていかされているということと人間は決しておろかではないということである。

我々に対して司馬は言う。我々は自分に厳しく、相手には優しいという自己を確立しなければならないと。それによって今後も発達するであろう科学・技術を良い方向に導いて欲しいと。また、本能ではない、優しさやいたわりを訓練して身に付け、自己の中で根付いていくことが出来ればと。

鎌倉時代の武士たちが大切にしてきた「たのもしさ」について司馬は述べる。どのように人はたのもしくなるのかも述べている。司馬自身が何よりたのもしさを重要視してきたのではないだろうか。その歴史小説にはたのもしい人物が溢れている。そして何より司馬遼太郎がたのもしい人物であったのであろう。

残念ながら司馬の予言通り、彼は若くして亡くなり二十一世紀を見ることが出来なかった。彼は現在の日本及び世界を見てどう思うのであろうか。

自分に厳しく、相手には優しいという自己、言うは易く行うは難しである。少なくとも私は自信を持ってそういった自己を有しているとは言えない。努力しているつもりではあっても。しかし、この作品を読むたびにそうでなければならないと思い起こし、自分の行いを思い返している。

村上春樹:もし僕らのことばがウィスキーであったなら

もし僕らのことばがウィスキーであったなら (新潮文庫)/新潮社

村上春樹のアイルランド及びスコットランド旅行記。タイトル通りウィスキー巡りを主題とした旅行。
私自身はお酒をほとんど飲まない。下戸という訳ではないが、ハードに運動(空手と水泳中心、たまにランニング)を始めて以来、胃や体に負担となるものが如実に分かる様になり、アルコールが自分の体に与える影響を体感出来る様(それが如何に少量であろうとも)になってからは本当に飲まなくなった。多分体質的に向いていないのだろう。
という経過もあり、村上が述べる
読んだあとで…その土地のおいしいウィスキーを飲んでみたいな…という気持ちになっていただけたとしたら…すごく嬉しい。
という読後感は残念ながら私には訪れなかった。一方、本書で紹介されているシングルモルトを何本か買って家に置いておきたいなぁとは思った。ウィスキーに込めるスコットランドとアイルランドの人々の思いが村上の文章を通してこちらに伝わってくるから。
この本で感じたことはスコットランドとアイルランドでウィスキーに携わる人々の情熱とこだわりである。例えば昔ながらの手法を保つこだわりが感じられる蒸留所がある一方、コンピューターを使うことへの柔軟性を持つ蒸留所の存在。それぞれが自分達のウィスキーへの愛情や様式を明確に述べている。
また、村上が訪れた土地における人々のウィスキーへの情熱及び如何にウィスキーが密接に人々の生活と関係しているかがその文章から垣間見れる。子供が生まれた時や葬式の際にもウィスキーを飲む習慣、アイルランドのパブに恐らく何年(何十年も)タラモア・デューをグラス一杯飲むために通う白髪の老人がその例として挙げられるであろう。
旅は人の心の中にしか残らない貴重なものを与えてくれると村上は言う。その通りだと思う。我々には旅をする色々な理由がある。時には理由が無いと思える時もあるかもしれないが。旅をしている最中は気づかないことがあっても後ほどその貴重なものの存在に気付くこともある。その貴重なものが人生の宝物となることが多々あるのではないだろうか。
この本を読んで旅に出たくなった。