筆者は糸東流空手道第二代宗家。 本書を通じ、空手の成り立ちその効能や歴史(柔道や剣道とは異なる歴史)及び哲学的背景を紹介し、題名通り武道空手へと招待している。筆者は武道空手という言葉を使い、所謂競技空手との違いを説明する。 私はずっと武道空手の枠組みで稽古を続けているので競技に出場した経験がない。よって筆者のいう真の修行者の姿(他人に勝つ、他人より上手くなるのではなく、昨日より今日より上手になり一生一日仕上げていく)という同意し、また、私自身そうでありたいと思う。 また、筆者の現代の空手道に対する懸念は私も含め空手に関わる人間が考える必要のある事柄ではないかと思わされた。例えば、海外では武道と競技空手の間に明確な一線がある一方、日本では必ずしもそうとは言えなく、結果、浅薄で誤った武道館を持っているという懸念。また、少なくとも伝統糸東流に関しては日本に十分な数の指導者がいないという懸念である。筆者は将来的に外国から伝統空手の指導者を招聘しなくてはならないという可能性についても触れている。 筆者は、空手のスポーツ化については否定はしていない。空手がオリンピックの正式種目になると信じている筆者としては、スポーツ化自体を否定することは出来ないであろう。むしろ競技の主張と武道の主張は折り合うことはないため、競技用の形を新たに作るなど武道と競技空手の更なる差別かを推進している様に感じる。その上で、競技空手を引退した人たちの受け皿として武道空手の重要性を強調している。その点に筆者の空手への愛情と懸念が感じられる。 本書では武道における無拍子と外国のリズムについての考えを紹介し、空手が無拍子であることを紹介している。更に天地と一体となる力を得る方法等、西洋的合理主義では説明し難い点についても僅かならが触れている。これらの概念はある程度の経験を積まないと実感出来ない難しい点だと感じる。少しずつ学んでいける技術とは異なると思うからだ。他方、これらについてを頭に入れて置くだけでも稽古への取り組み方が変わってくるのではないか。 空手愛好家のみならず武道に興味のある全ての人々に読んで欲しいと思う一冊である。
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司馬遼太郎:街道をゆく 南蛮のみちI
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズからの一冊。南蛮とはスペインとポルトガルのこと。南蛮のみちIでは主にスペインにおける旅行記を掲載。 スペインといっても、司馬遼太郎の本旅行の主目的は、フランシスコ・ザビエルと20世紀に日本に居たソーヴール・カンドウ司祭の故郷であるバスク国訪問である。国とはいうものの、バスク国というのは現在正式には存在しない。一般的にはスペイン及びフランスにまたがる地方として知られている。 しかし、その歴史は長く、その言語の起源は未だ分からない。また、多くの人には今でもETAの存在がバスク国を知る契機となったのではないだろうか。 日本にもっともゆかりのあるバスク人はフランシスコ・ザビエルであろう。日本を大天使ミハエルに捧げたこの聖人は、ポルトガル人が種子島に漂流して銃を伝えた6年後(1549年)に鹿児島に上陸した。彼の存在がなければイエズス会や上智大学は私たちが見るそれと大分違っていたかもしれない。 さて、本書でまず目を引くのは司馬遼太郎の物凄い文献参照の結果とやはり、彼の文章力である。筆者の歴史小説同様、ザビエルの留学時代にパリにいたかの様な印象を受ける。当時の生々しい話の数々(例えば梅毒の流行や学院間のいざこざ、またザビエルが留学を続けれた理由のひとつと思われる世俗的なこと)や、ロヨラの人物像と彼との出会い、イエズス会設立の経緯等が鮮やかに描かれている。また、本書で紹介されているザビエルが手紙に記した日本人の描写を読めばザビエルがどの様な思い出日本に滞在したか、想像することが楽しくなるのではないか。
また、本書は歴史小説ではなく旅行記であるため、司馬本人の人柄や好奇心がこちらに多分に伝わってくる。例えば、カンドウ神父の生家がザビエル一族の隣であったり、カンドウ神父の故郷を目の前にして、いきなり中に入るのは惜しいような町という発言である。この人は本当に歴史が好きで、また、様々なことに気が回るのだなということが良く理解出来る。
本書には司馬の知り合いや本旅行で知り合った人々のやり取りも興味深い。犬養道子さんのカンドウ神父生家訪問の話であったり、フランス人及びバスク人ツアーガイド、レストランにおけるバスク談義、また、スペインにおける日本人案内役の武部さんの「文明国」の話等だ。
私自身、スペインは何度か訪問し、バスク国の歴史に僅かながら触れる機会もあった。その経験から本書は街道をゆくシリーズの中でも特に思い入れのある一冊だ。 最後に個人的に気になった一節。司馬がフランスにおける日本人ガイドの植野さんに「くに(日本)は懐かしいか」と振った時。彼女は笑うのみで答えなかったという。海外に住む身としては彼女の心境を色々と考えてしまう。
サミュエル・スマイルズ:自助論
明治時代の大ベストセラー。 著者の母国スコットランドを含む欧米を中心とした人物の自助、つまり他人や国(恐らく国という概念が本格的に浸透してきたのがこの頃)に頼らない生き方を紹介する本である。 最初の和訳版が発売されたのが1871年。明治維新や版籍奉還が行われて間もない頃である。 “Heaven helps those who help themselves” ( 天は自ら助くる者を助く)は非常に有名。士農工商という身分制度が廃止されて数年しか経っていない当時の人々はこの一文から何を感じたのであろうか。 竹内均訳の本書は10章から構成され、各章で有名人の関連発言や生き方を紹介している。近年の自己啓発書と比べると少し纏まりにかけると思われる点があるものの、我々を励ましてくれる文章が所々に散りばめられている。 本書で取り上げられている日本でも有名な人物の例を幾つか上げるとすれば、ミケランジェロ、ベーコン、ベンジャミン・フランクリン、シェイクスピア、ジェンナー、ニュートン、ベートーベン、ハイドン、ナポレオン、ルター、フランシスコ・ザビエルであろうか。 様々な助言がこれら人物の口を借りて語られているが、本書が最も伝えたい事は 「外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし、元気づける。」ということではないか。 その上で例えば、時間の使い方や努力の継続等、当たり前のことと思われるが実践することが難しい物事について述べられている。 本書の登場人物で最も日本にゆかりのある人物はザビエルとその同志、イグナチウス・ロヨラであろう(ロヨラは日本には来ていないが)。 そのロヨラの一言: 「一度に一つの仕事しかしない人間のほうが、むしろ誰よりも多くの仕事をする。」 賛否両論あるだろうが彼のイエズス会における仕事振りに鑑みるとそうかもしれないと私は思う。 植民地支配や奴隷制度がまだまだ一般的だった19世紀に出版された本なので、全ての人を対象としたものではないだろう。それでも我々に多くの伝える内容を持つ本ではある。一方、私がこの本を読む時考えるのことは、明治維新後間もなく、また、国家等新たな概念が欧米から次々と伝えられたこの時期の日本人はこの本を読んで何を感じたのかということだ。