使い捨てカイロ

使い捨てカイロ使ってる? ブログネタ:使い捨てカイロ使ってる? 参加中

現在は使っていません。日本にいないし、そもそもこちらはそこまで寒くならないので。
ただ、もう少しで帰国するのでその際は使うかもしれません。首都圏は寒いのかなぁ。

今は貼らないカイロもあるらしいですが、私は貼るカイロを使うと思います。とは言っても実際に貼ると熱すぎることがあるので貼るカイロを買っても貼ることは少ないですが。貼るカイロをポケットに入れてあまりにも寒いと感じた時だけ貼る様にしています。腰や背中が多いですね。

うちではいつも「どんと」を使っています。理由は両親がどんとを買っていたから。ホッカイロを使ったのは両親の実家がある北海道に行って親戚から貰った時位かな。どんとがいつからあるのか分からないので小さい時はホッカイロを使っていたかもしれませんが。

頭を温めないのでボーっとすることもないし、カイロって本当に優れたものだと思います。

ただ、一つ心が痛むのは使い捨てカイロってその名の通りゴミになってしまうんですよね。貧乏性なのかそれが勿体ないと感じ、高校生になって以来使う頻度が大分減っていった気がします。代用品と言う訳ではないですが、コートやマフラー、手袋等防寒着は沢山あるわけですし。

最近ではUnder Armourのヒートギアを使うことも多いですね。元々はランニング様に買ったのですが、肝心のランニングの際は距離を積むごとに気になってしまうので、今はミズノの短パンのみ。その代わりといっては何ですがヒートギアを普段着や時にはスーツの下に着込んで出かけます。そうするとカイロが必要な程寒いことってあまり無い気がします。

さて、今年はカイロを使うかなぁ、どうかなぁ。

有森裕子:やめたくなったら、こう考える④

やめたくなったら、こう考える (PHP新書)/PHP研究所


有森選手の本に関する感想シリーズの最終回です(一回目二回目三回目)。

最後は有森選手が試行錯誤について語っている部分について書きたいと思う。

有森選手は好きとはいえないマラソンを長く続けてきた。その理由の一つとして試行錯誤し、改善する工夫を設ける様にしていたことを挙げている。そうすることに喜びを感じることが出来たと言う。

発見という言葉を使い、その試行錯誤について更に説明している。何故という発見、自分の体や技術、恐らく身体操作方法やパフォーマンスの向上であろう、に関する新たな発見である。

こうしたことに喜びを感じることが出来るということは、あくまでも想像であるが、有森選手が些細な変化を見逃さない感覚を持ち合わせ、更にその変化に対する質問を作り上げ探求する能力を持ち合わせていたのだと思う。

私も含め多くの人にとってこれは非常に難しいことなのではないと思う。問題を作り上げるにはある程度のレベルの身体操作能力及び理解力必須であり、また、問題作成を繰り返すということは、それ以前の質問に答えられるということが前提条件となる可能性が高いからだ。この試行錯誤の話に有森選手の非凡な才能を感じることが出来る。

同じことは比喩的な意味での壁を乗り越えることでも感じることが出来た。目的をかなえる手段は幾つもあると述べる有森選手は実際に幾つもの方法を思いついてきたのであろう。

それは勿論才能のみによるものではない。努力の結果、前回述べた根本がしっかりしていたから迷った時でも挽回出来る確信があったことにもよるであろう。

有森選手も述べる通り、好き嫌いと関係なくやらなければならない物事というのは誰にである。その際に胸を張って述べることの出来る“辞める理由”が無い場合でもそれを継続するにはどうすれば良いか。本書にはその答えとなれるヒントが沢山詰まっている。

子供のころに信じ込んでいた伝説や迷信

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ノストラダムスの予言ですね。

これは私の世代だと多くの人が信じているとまではいかないでも結構気にしていた人が多いのではと思います。小学生の頃から日常会話でもノストラダムスってよく聞きましたから。

高校生の頃になっても何となく心に引っかかるものがありました。当時の少年漫画誌でも結構取り上げられていなんじゃないかな。ハッキリと覚えている訳ではないのでどの雑誌と言っても答えられないのですが。マガジンかな?

以前も書いたけれど私にとってこの予言は少なくとも一時期は必ずしも否定的なものでは無かったので今でもたまに思い出す予言ですね。

迷信としてよく覚えているのがハレー彗星関連です。1986年にハレー彗星が地球に接近した際、以前ハレー彗星が地球に接近した時に人々が信じていた迷信について幾つか特集していたと思います。確かドラえもんでもハレー彗星の迷信に関する話をアニメで見た記憶があります。その迷信について学んだ時かな、ノストラダムスについてあれっと思ったのは。それでもその後も予言については気にしていましたけどね。

近年ではマヤ歴の2012年もありましたね。まぁ、これは暦の上で新たな時代の始まりに過ぎなかったのですが映画も含め部外者が大騒ぎしていた気がします。

伝説については子供の頃はあまり気にしていなかったと思います。最近になって聖書やその他聖典等に記されている伝説についてもう少し深く考える様になりました。ただ単に嘘と考えるのではなく、何故そういう伝説が生まれたのかということを。例えばカトリックの歴史を振り返ってみたりすると、ただ単に伝説といって良いのかと感じる事柄も多いですね。