クリスマスの一番の思い出

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高校二年生の時のクリスマスですね。

その年の春に短期ホームスティでお世話になった米国コネチカット州のホストファミリーの家に一人で遊びに行きました。

成田から今は無きノースウエスト航空でデトロイトを経由し、ラガーディアに向かいました。母が凄く心配していて成田で同じ便に乗る会社員の人を捕まえて「よろしくお願いします」と頭を下げていたっけ。

デトロイトまでの飛行機の中ではその当時アメリカで流行っていたMichael Jacksonの “You are not alone”やMariah CareyとBoyz II Menの “One Sweet Day”を何度も聞いていました。

コネチカット到着後はニューヨークのロックフェラーセンターのアイススケート場で滑ったり、自由の女神やMOMAに行ったり、色々と観光もしましたがホストファミリー宅の近くで遊ぶことが多かったです。何度かBlockbusterに行き映画やスーパーファミコンのソフトを借りたりして遊んだりもしました。でも一番楽しかったのはスキーかな。

クリスマス・イブには教会に行き、その後ホストファミリー宅で夕食。物心ついてからクリスマス・イブにケーキを食べなかったのは初めてだったと思います。でも食事は美味しかったし、ああこれがアメリカのクリスマスなんだなぁと感慨深かったです。

さて何故このクリスマスが一番思い出に残っているかというと理由があります。ホストファミリーの長女、当時13歳がクマのプーさんに出てくるトラの子供ティガ‐が大好きでその柄が入ったクリスマスツリーに掛ける装飾ガラス玉を25日にプレゼントの一つとして貰っていました。それを手渡されてふざけていた時、誤って落としてしまったのです!怒ってしまった彼女は一日口を聞いてくれませんでした。

それから一週間程経った後の帰国日、チェックインも済ませデトロイト行きの飛行機に搭乗したのですが数時間待った挙句、吹雪のため離陸出来ず。ホストファミリーは既に空港を出ており電話したら空港からバスがあるとのこと。拙い英語でしたが何とかホストファミリー宅に戻ることが出来ました。実家にもコレクト・コールで電話したり色々と大変でした。その後滞在が更に4日程伸びてしまいました。

先述のガラス玉の件は後日談があり、2年後のクリスマスにルーマニア人の女の子とホストファミリー宅を訪れ泊まった際、クリスマスの朝にホストファミリーの長女が貰ったもの、あの壊してしまったものの全く同じティガ‐の装飾ガラス玉でした!洒落を効かせて買ってきたそうです。

あの時の長女の満面の笑み、可愛かったなぁ。

失敗談、後日談や帰国に伴うトラブル等本当に色々な事があったクリスマスでした。今では私の大切な思い出のひとつです。

サンタと私

サンタの正体に気付いた時の気持ち ブログネタ:サンタの正体に気付いた時の気持ち 参加中

私は実際にサンタの正体を自分の目で見て気付いたタイプです。

あれは忘れもしない小学校三年生の年でした。クリスマス・イブの夜、確か10時位だったと思う、父が私の寝室に入ってプレゼントを置いていったのをしっかりと見届けました。

その頃には何となくサンタの存在について私もクラスメートも疑わしく思っていた年頃だったので「ああ、やっぱりそうか」位の感想でした。特にショックとかは無かったと記憶しています。

私の両親は共働きだったので小学校一年生の頃から鍵っ子でした。また元々内向的でしかも弟は保育園で母が帰宅するまでいなかったので、弟が小学校に入った三年生まで帰宅後は一人のことも多々ありました。

元々読書が好きだったので小学低学年で読めない漢字も結構あっただろうに新聞を頻繁に読んでいました。そのためか、サンタクロースの様な所謂大人の嘘には結構早い段階から冷めた目で見ていた様な気がします。小学校三年生で気付くのが早いかといえばそんなことはないと思いますけどね。

今、子供二人を持つ身。私もクリスマス・プレゼントを貰う立場から与える立場となってしまいました。カトリックが多い国でクリスマスの本来の意味を理解すべき国なのですが、それでもやはりクリスマスが商業化しているなぁとは感じます。クリスマス・プレゼント関連の広告は沢山あるのですが、サンタクロース存在自体はあまり話されることが無い様な気がします。

子供達も特にサンタの存在を信じてはいません。今年のクリスマスの時期は一人日本にいることとなったため、プレゼントは日本から何か買って帰ろうかなと考えています。プレゼントは数日遅れてしまうけど仕方ですね。さて、何を買おうかな?