いじめられている君へ

先程五木寛之の書籍に関する記事を書いたけどその中で、いじめでも何でも生きるということについて私の考えを述べたい。

ノストラダムスという予言者のことを現在30代以上の方なら覚えていると思う。彼の予言が中学二年から三年の頃の私の唯一の希望だった。その予言とは1999年に人類滅亡。日数を数えてた。その日が来れば皆死ぬんだと。死にたい理由があった。

13歳になって少し経った頃からいじめられる様になった。理由は身体的特徴から。物凄く色白だから。私は生まれてからずっと体の色素が薄く、髪の毛は栗色で、目の色の薄い茶色。それは良いのだが、肌の色が異常に白く日焼けも殆どしない。特に冬は他の子と比べると本当に真っ白だ。だからいじめられた。肌の色についてはよく言われた。学校だけに限らない。夏休みに電車に乗っていたら知らない人に日焼けしろと言われたり。そんなことだらけ。

いじめが本格的に始まったのは、3学期が始まって間もない一月。その2週間後に父親と弟と長野県に2泊のスキー旅行に行った。何故学校を休んでまでスキーに行ったのかは、そして何故母が同行しなかったのかは分からない。たまたま、父の休みが取れたのだろうか。理由は聞かなかった。

その時点でいじめられていることは家族の誰にも伝えていなかった。それが間違いだったのかもしれない。その後、学校に行きにくくなった。そして結果登校拒否になった。中学2年の時は殆ど学校に行かなかった。両親もどうして良いか分からなかったのだろう。特に母がヒステリックになり、目の前でお気に入りの雑誌(ワールド・ボクシング)を破られたりしてショックだった。それでも直接的に何があったのかは言わなかったと思う。今、大人の視点から考えれば両親はその時点では勿論いじめについては知っていたと思う。

精神科医に連れて行かれカウンセリングも受けた。でも効果は無かった。それはそうだ。登校拒否の理由は自分が良く分かっていたのだから。

中学二年の年の5月、ボクシング・ジムに通うこととなった。前年から現在も続いている漫画はじめの一歩が好きで、また、辰吉丈一郎が初めてWBC世界バンタム級タイトルを取った試合を見てボクシングにはまっていたのだ。でもジムに行ったこと自体は自分の意志では無かった。でも両親が勧めた時、反対もしなかった。

それからバスと電車で週五日ボクシング・ジムに通う日々。学校やいじめのことは何も言わなかったけど、ジムの人は何も聞いてこなかった。これもその時は気付いていなかったけど恐らく両親が話を通していたのだろう。でもその当時はそんなことまで頭が回らなかった。そこのジムでは週一日か二日、本部のジムからトレーナーが来ていてその人を通じ、世界チャンピオンのサインを貰ったりした。私が人生で貰ったふたつの内、一つのサイン(もう一つは同じく世界チャンピオン平仲明信のサイン。色紙を送ってサインを頂いた)。二つとも今でも実家に飾ってある。

ボクシングを通して何かが変わったのだろう。高校進学も心配されていたのに、中学三年からまた学校に通いだした。友達なんか一人もいなかったけど。でもその後、小学校の時の友達が何故か一緒に遊んでくれる様になった。その結果、他の奴からバカにされたのに。嬉しかった。

結局、中学を卒業し、高校に行き、大学を出て、大学院にも行き最終的に博士号を取得した。そういった意味ではいじめを克服したと見る人もいるかもしれない。かもしれないというのは未だにその事を話したことがないから。両親とも。

克服してないのではないかな。いじめた連中を許さないとか言うつもりはないけれど、あれから20年以上経った今でも忘れることはない。今後も無いだろう。未だに白い肌には抵抗感がある。日本で営業をしていた頃、良く他社の女性社員から肌白くて綺麗ねと言われた。凄く良い人で素敵で悪気は無いのは明らかだった。でも言われる度に胸が痛んだ。私が肌の色の濃い女性を好むのもそこから来ていると思う。それだけいじめというのは未だに私に影響を強く及ぼしている。

いじめられている君へいじめられた経験のある私から伝えたいこと。

学校に行きたくないなら行くな。進学のこと、将来のこと等考えること、心配することは沢山あるだろう。若い頃、学校は貴方の世界の全てを占めていると言っても過言ではないかもしれない。でもね、世界は広いよ。少なくとも学校だけじゃない。分かりにくいでしょ?私は13、14歳の時、学校が全てと思っていた。

将来を心配している?でも死んだら何にもならないよ。生きないと。私も何度も死にたいと思った。稚拙な遺書を書いたこともある。まだ13歳だった。でも今生きてここにいる。それを幸運だと思っている。生き抜いて良かったと。貴方が死んだらニュースになるだろう。いじめた奴は追及されるかもしれない。でもいじめた奴らは反省しないよ。他人は貴方が死んでも本当に悲しまない。泣いてもね。無駄死にだから。本当に悲しむのは家族とその他一部だけ。死んでも復讐にもならない。生きろ。かっこ悪いとか惨めでも何でも良い。関係ない。生きろ。

それからいじめられる原因は貴方にないからね。どんな状況であっても悪いのはいじめる方。卑怯な奴らだ。

いじめられることは辛い。その経験を忘れることは本当に難しい。断定出来る。でも生き抜いて良かったとも断言出来る。その後、私は強くなった。その後の人生を通じて、空手や水泳との出会いを通じて。身体的だけではないよ。いじめられた経験があるからこそ、その気持ちが良く分かる。人をいたわる気持ちをその経験を通じて養えた。他の方法であれば良かったのだろうけど、尊敬する司馬遼太郎が言うたのもしい人間に少し近づけた気がする。

また、いじめにより本当の友達が誰か分かった。それも得難い経験だ。

いじめられる経験はためになるものではないけれど、生き抜いたからこそ見えるものもある。だから生きろ。絶対、貴方を理解してくれる人はいる。両親かもしれない、兄弟・姉妹かもしれない、祖父母やその他親戚、若しくは近所の人、図書館を始めとした公共施設で働いている人とか。本当に誰もいないと思うならメッセージ下さい。日本にいないので何が出来る訳ではないし、大したことも言えないけれど、しっかり読んで返信します。

この記事を書くのは辛かった。でも書いた後、少し気が晴れた。

五木寛之:人生の目的

人生の目的 (幻冬舎文庫)/幻冬舎

人生の目的、何とも壮大なタイトルだ。本書から垣間見るに筆者が人生の目的を思い起こそうとした理由は、自殺数の増加である。筆者は、不況が自殺数の増加の直接的要因ではないと推測する。では何なのか。筆者は直接述べてはいないが、それが「人生の目的」を改めて考える機会となった。補足だがフランスの社会学者デュルケムも経済的要因が自殺の主要因とは捉えていない。彼の自殺論についても機会があれば書いてみたいと思う。

さて、筆者は人生に目的は無いと述べる。五木の何十年かに及び考察の末だと言う。人生に決められた目的は無いという意味である。筆者は言う:

「人生に万人共通の目的などというものはない。あらかじめ決められている法律のような人生の目的というものを、私は想像することができない…すべての人間に上から押し付けられるような、一定の目的などない」

と。

趣味、人種・民族、宗教、国籍、性的志向等異なる人間がこれだけいるのであれば、万人共通の目的を見つけることは至難の業であろう。一方、多くの人はではどうすれば良いのかと考えるであろう。

また、戦前に生まれた五木は子供の頃、人生の目的を改めて考える必要は殆ど無かったと述べている。私にはその理屈は分かるが実感は出来ない。その点で、五木の辿り着いた結論を本当の意味で理解出来るのは無理なのかもしれないと考える。

また、筆者は自己啓発が好きな人が眼を剥く様な発言をしている。人間には無限の可能性がある、ということはどこか嘘があると思うと。ただ、ある程度の人生経験を積むとそういう結論に辿り着くのではないか。それをどの様に取るかが、人生の要諦かなと私は思う。

五木は述べる:

「事故の運命と宿命を受け入れた上で…それからどうするのか。答えは一つしかない。…<生きる>ことである…なんとか生きる。生き続ける。自分で命を投げだして、枯れたりせずに生きる。みっともなくても生きる。苦しくとも生きる。

私の好きな文章だ。いや、好きというのは正しくないのかもしれない。ただ、他の記事で述べようと思うが私の心の琴線を震わせる文章だ。みっともない、惨めだと思う期間を生き抜いてきた経験が私にもある。

上記の他に本書では、肉親とのこと、お金のこと、信仰のことやNHKラジオ深夜便のトークエッセイも掲載されている。トークエッセイでは筆者が学生時代について語る面もあり、私には筆者と教授との触れ合い、質屋における苦い経験やアルバイト先のカツ丼が特に印象に残った。

私にとって色々と考えさせる本だ。若い人に特にお薦めしたい一冊である。